30年間の母親業を振り返る、主婦のたわごと

24歳で産んだ長女の結婚をきっかけに、自分の育児を振り返ってみようと思った。

オランダ ドイツ幼児教育の旅 1

日曜日からオランダに入り、今日はドイツのドルトムントにいる。

朝食を済ませ、コーヒーを飲んでいる。

 

アムステルダムでアンネフランクの家に行った。

 

アンネのことは小さい頃?小学生くらいだったかな、母にドイツにはヒットラーと言うすごく悪い人がいてユダヤ人をたくさん殺して、髪の毛をマットにしたら皮膚をランプにしたりそれはそれはひどいことをやった。と聞かされた。

 

そんな話はすっかりどこかへ行ってしまった18歳、留学先の文学の授業で映画を見ることになった。

 

題名はNight and fog

授業が始まる前に先生は気分が悪くなったら、出て行くのは自由です。

 

ナチスユダヤ人のドキュメンタリー映画だった。小さな頃母から聴いた話が蘇る、ぞっとしたのを覚えている

 

そんなことを思い出しながらアンネフランクの家入場の列に並んでいた

 

入ると通訳の機械を受け取り順路を進んで行くと当時の状況を物語る写真や書物、インタビューが出てくる。

隠れ家はお父さんの会社だった。

扉の前には本棚を置き、あたかも壁でその奥には何もないように見える。

昼間はトイレも流せない、物音も立てられない、従業員に気づかれてしまうからだ。

隠れ家にいることを知っているのは数人。知る人が多くなればなるほど見つかる確率は上がる。

 

彼女のはけ口は毎日ノートに気持ちをぶつけることだった。それが後に発見されたアンネの日記だ。

 

この中で彼らをかくまり秘密を必死で守った人が

 

助けられる立場にいるのなら喜んで助けようと思った。言っている。

 

見つかったら殺される

 

でも、仲間たちは最後まで物資を運び、彼らを匿った。

 

収容所で亡くならなかったのはアンネの父だけだった。

 

お父さんがこのアンネが書いた日記を世に送り出したそうだ。

 

私はまだ読んだことがないから、帰ったら読んでみたいと思う。

 

ヴィクトール・フランクフルト著

夜と霧では生き延びられた原点は愛だと書いてあった。

もう一度妻と子どもに会いたい、

愛する者に会いたいと言う思いが

自分を生かしたそうだ。

 

原書の中の残酷な表現をかなり削って日本語に訳されたようで、アンネの家での説明は残酷さを増していた。

 

12歳の少女がどんな思いであの本棚の向こうで声を潜めて生きていたのだろう

 

同じ娘がいる母親として胸が張り裂けるようだった

 

気づいたら涙がつーと流れていた

 

同じ人間があんなひどいことをする洗脳は恐ろしい

 

戦争が終わったいまでも人種差別は全く終わらない

 

世界のみんなが、心穏やかに過ごせる世になってほしいものだ

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